アルゼンチンつれづれ(244) 1999年03月号

初詣ツアー

 王子駅への行き来に音無川縁をゆき、『江戸高名会亭墨王子扇屋』の前をしばし広重の絵の中に入り込み、王子神社への階段を登る。緑青の屋根の王子神社に頭をさげ、ななめに境内を通り抜けるとじきに私の家に着く。 こんな毎日の王子神社のことを知りたく、御由緒を読んでみると、『元亨二年にこの辺りの領主が熊野より勧請した』とある。熊野三社の御子神「王子大神」をもって、この地名を『王子』とすると。
 以前から、日本の原郷である熊野を知らなければいけない、という思いはあった、王子神杜との縁もあってなおさら。
 お正月休みの三日間を熊野行と決めた。自力で到底辿り着けるとも思えなかったからツアーに参加することにした。
 年始のツアーは満員だったり、キャンセルされたりで、「あの辺に行けるのなら何でも良い」と、いい加減な品定めで参加したのは初詣ツアーであった。信心深い老人達の中で何宗やら、お参り作法すら知らない異端者私は、ひたすらキョロキョロするばかり。
 まずは橿原神宮より始まった。初詣の人出はすごい。玉砂利を踏む音、砂ぼこりもうもう。参道はしっかり人で埋め尽くされ、とにかく人々をかきわけどんどん畝傍山に近付き清粛な神殿に辿り着けた。巫女さんがかわらけに御酒を注いで下さった。
 大変な混雑の中から、我ツアーの全員はバスに吸い込まれるように、今度は高野山へ向ける。
 ものすごい山の中へと登ってゆく頃は、すでに夜の闇。大変な暗さに雪が積もっていた。金剛峯寺は、雪を照らす細い月の明りでお参りした。幽玄が具代化された。弘法大師空海を偲びつつ、この夜は寺、宿坊に泊るのだと。
 こんな山の中だし、お寺でもあるし、何も期待はしていなかったのに、宿坊の食堂は、いくらでもお酒をどうぞ。という。精進料理は美しく二の膳まであり、何で作られて擬になっているのか…当てる楽しさもあり、「どうぞどうぞ」とお坊さんのすすめにのって相棒と私は、いくらでもお酒を飲んでしまった。
 宿坊の夜は、エアコン付き、羽根蒲団で、今、急にきびしいことを言われても困る私達は「楽ちん楽ちん」と過ごせた。せめて罪?ほろぼしに朝の勤行に出ることにした。昨夜、熱燗をせっせと運んで下さったお坊さんがお経を読んでおられた。何だか困惑。
 宗教都高野山から樹氷の道を下る。三千六百峰もあるかの一番高い辺りから、一気に暖流の熊野灘の海岸線まで。途中の山峡に、梅の木がずっと続いて、この花の頃は、実の頃は、どんなでしょう。
 岩、侵食、神話、民話、言い伝え、偉人、変人、祭…紀伊半島の波打ぎわの道をゆく。鯨がいるんだ。鮪がいるんだ。那智勝浦の泊りは夜の熊野灘を見渡しながらの、その海からの魚貝三味。
 次の朝一番、きゅっとしまった冷気のなか那智の滝の姿を全けくおがみ、滝音をわが身にとどろかせ、滝水を飲み…。神々しい。
 青岸渡寺、那智大社、補陀洛神社、速玉大社…。
 常日頃、自分はいかに死んでゆくのだろう、自分の死も自分で管理しなければいけない気持になっていて、補陀洛渡海の、生きたまま黒潮にのって浄土へゆくという事実に今、気が転倒している。生きていることも、死ぬことも、なんと大変。ひたすら熊野詣をした昔の人達の気持がわかるような気がする。
 斎藤茂吉も土屋文明と共に熊野の旅をしている。私も、これから熊野について知り始める。

 
 

Copyright (C)2002 Yuri Imaizumi All Rights Reserved. このページに掲載されている短歌・絵画の無断掲載を禁じます。