アルゼンチンつれづれ(245) 1999年04月号
宇治平等院
大阪に居る人にサインをもらう用事があった。ファックスしたり、郵送をしたり…何かと素早くたちまわれる世の中ではあるけれど、それよりも早く、正確に、このことを処理したく、自分で書類を持って、大阪へ行くことにした。すぐ『のぞみ号』に乗った。
『確かに、この人がサインをしました』と公証人役場の公証人の前でサインをしてもらい、それを英文の証明書にして、アメリカまで二、三日で着く航空特急便にあとをまかせた。
これ以上はない早さで、このことが解決出来たから、このまますぐ東京へ帰るのがもったいなくって、京都辺りを!という気になった。
大阪駅の切符料金が書いてある路線図を見ていて『宇治』と決めた。
このところ「生と死」について思うことが多い、とは言っても、ただ言葉のうわべ程度のことなのだけれど。
今までは、死即終り。それから先の心配など必要なことではないと思っていたのに、まずさしあたって骨を置く所はどうする。せめて自分の骨のことくらいは考えなくてはいけないのではないか。意志とか方法とか…言いおく必要があるのではないか。どうしたら良いのか、まだ結論は出していない。
大阪から京都まで、偶然の特急に乗れた。京都から奈良線というのをみつけた。
「宇治へ行きますか」「行きます」と車掌さんの一言に安心して、一駅一駅しっかり止まってゆく駅の名前におどろいた。時代をごっちゃにして、歴史で習った名前がずらり。 長い年月があって、人間は世代を重ねているというのに、根本は変らないまま今が続いている。そんな風景がいとおしくも続く。
伏見の稲荷駅。電車の窓から、朱色の大鳥居が見え、ずっと続く千本鳥居も…。電車を降りたくなったけれど、「また来よう」とあきらめた。伏見といえば『酒』。どんな所でどんな風にお酒が出来ているのか見たい。心騒ぐが、「また今度来よう」。
秀吉、利休、伏見桃山城のある桃山駅。中国っぽい黄檗駅。茶畑けがあちこちに見えはじめる。思っていたより大きな宇治川を渡ると宇治駅。
駅前より背のびをして見渡して、木々が繁る方向に歩き始める。さっき電車で通った宇治川にすぐゆき当った。宇治橋。ここより将軍家へお茶を献進するお茶壷道中が毎年出ていったのだなあ。
そしてそこより平等院の参道に入り、古いお茶屋が並ぶ。お茶が一番極楽に近い食品かな、などと思う。
冬枯れの木々の中、美しいバランスの鳳風堂が、これ以上はない。建物も柱も古り、朱塗りも古り、人間を、私を、はるかに越えた古さに、落着いたおだやかな心になれる。
堂の中の本尊阿弥陀如来も上品を示し、上品でさりげない美しさを極めていた。
そして、とびあがるほどうれしかったことは、壁面の五十二体の雲中供養菩薩。雲に乗られた菩薩様が、それぞれに、それぞれの楽器を奏しておられ、大人しい菩薩様は、蓮華宝珠…などを持っておられ、舞い、合掌され、考え得る極楽を極めている。
我にかえると、こんなに美しい所に居られる実力はないのだから、ここは所詮ひと様の極楽であり、私の心はまたまたさまよってしまうのだけれど、美しいものを美しいと感じたこのひと時、これが極楽。
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