アルゼンチンつれづれ(255) 2000年02月号

沖縄へ

 クリスマス、お正月、この年末年始をいかに過すかとは、自身で自在に選び決めることが出来る状態にあると、けっこうプレッシャーがかかる。
 コンピューター二千年問題で、コンピューター技術者の由野は「ニューヨークを離れられない」という、ニューヨークヘ行って、「お節料理でも作っていようか」とも考えたけれど、まだ腫れのある足で凍りついたニューヨークはちょっとしんどい。
 尾道、松山、温泉…準備期間がなかった故不可能となった。
 そしてやっと沖縄行に空席あり、とにかく沖縄へ。
 沖縄についての一番の私の関心事は、私達がアルゼンチンヘ辿り着いて、需要はあるけれど供給のなかった電子部品を製造する工場を始めるにあたり、日系新聞に人材募集をしたところ、集まってくれたのは、皆沖縄からアルゼンチンヘ移住した人達だった。
 勤勉な、我慢強い皆に助けられ工場は成り立ってきた。今になっても、一人一人の作業をしている姿を忘れることはない。
 休憩時間など、皆は沖縄語で話し合っていた。以前、日本国内東北旅行をした時も方言がわからなかった記憶があるけれど、沖縄語は、もっともっと、皆目わからなかった。
 スぺイン語と沖縄語と、アルゼンチンで二つのわからない言葉に直面していた。
 皆の家、沖縄料理に招かれると、山羊や豚や昆布…これまたまったく始めての味だった。
 一つ日本の中に、こんなに異なることがあることを、しみじみと知るのだった。
 小さい時に焼き付いた戦争の記憶が、沖縄を尋ねる怖さになっていたけれど、そのことも、他のことも、今はもう知る必要がある。 東京羽田から、ジェット気流に逆らっていたとはいえ二時間半もかかった。沖縄は遠い。那覇港に続く淡水海水の混り合う辺り、水中よりヒルギ群生。これがマングローブ。いきなりこんな景色になってしまう沖縄の遠さを実感。
 いたる所にトックリ椰子。花芽が伸びたつ、花が咲き、実がなり、一本の木に全部が見られる。ダイオウ椰子、ナツメ椰子、ヤエヤマ椰子、ココ椰子、クジャク椰子、シュロチク椰子。椰子の種類がみごと、ここは南国。 冬だというのにハイビスカスが赤、黄。ブーゲンビレアも赤、白、黄、紫…。プルメリアだって。タビビトの木。タコの木。
 そして以前から気になっていたこの花の下、緋寒桜がもう咲いていた。
 もし夏に沖縄を尋ねたのだったら、木々草々、大変なエネルギーに出遇えただろうに。すすきのまだほほけぬ穂、続く砂糖黍の白い穂花、一つ方向になびき合って。
 牛がくるくる廻って、砂糖黍をしぼっている所、出来たての黒砂糖を食べる。えもいわれぬ昔があった。おいしい。
 素晴しい楽園に居る、と心がゆるんでいる時、すさまじいジェット機の爆音。戦争が始まったか!!嘉手納基地を飛び立ったKC132空中給油機と知る。安心しきっていてはいけないことがあることも知る。
 サンゴ石灰岩の城壁高い首里城は、すっかり中国。沖縄の四百年の歴史を知る。
 熱帯漁、色あざやかな魚達、海へび、なまこ、サンゴ礁の海、竜宮城だ。
 モニュメントになってしまった戦争に、深く深く頭をさげて、一つのことの区切がつけられた。これからは、サンゴ白砂の美しさを心に思っていよう。

 
 

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