アルゼンチンつれづれ(256) 2000年03月号

飛鳥山博物館

 現在、私が住んでいる王子の家は、造るにあたり少し掘り下げると、古代の品が出て、「家が建てられなくなるから急いで埋めてしまった」との経緯があり、縄文の頃から人が住んでいたことがうかがわれる地帯。
 私の家から、ほんの近くの飛鳥山に、「紙の博物館」「渋沢史料館」「北区飛鳥山博物館」と三つの博物館が並んでいて、私の散歩コースになっている。
 飛鳥山博物館では、この辺り大地の断面を切り取った、数えきれない時を経た“大地のおいたち”を見ることが出来る。
 貝がつみ重なっている層、それぞれの地層が出来た悠久の時が見え、富士箱根火山より関東地方に降った火山灰のローム層をしっかり見られる。
 私の住んでいる所、動き回る範囲の土の下の層のことが、いつも頭の中にあって楽しい。
 現在、関東ローム層の上には、高層ビルが立ち並び、地下鉄は幾重にも、新しい地下鉄は下層へ下層へと新設される。
 見上げても、見下げても、動くことをあきらめるほど長くエスカレーターに乗って、地中深くを行き来する。
“大地のおいたち”の断層を思い浮べると「どの辺にまでもぐっているのかな」といつも思う。
 ビル群をぬって、モノレールが走る。ユリカモメなんて無人運転で走っているものまであったりする。
 今から五十万年前までは、私の辺り、いや関東平野の大部分は海底であったと。
 八万年前程、富士箱根火山群の火山灰がつもり、その他もろもろつみ重なり、陸地化してきた。
 時代は人間の範囲へ。
 飛鳥山が江戸の花見の名所であり、王子稲荷信仰が盛んとなり、「王子の茶店は菜めし田楽」。豊橋も菜めし田楽、同じルーツなのだろうか。
 慶安元年(一六四八年)創業といわれる料理屋「扇屋」は、王子の地にあって、現在にも至るから、客になって、江戸の続きを味わうことができる。玉子焼が名物で、甘さがとても昔をしのばせる。
 徳川家康が江戸入りをした数百年前から変らないとはいえ、月島、佃島、超高層へと勇った。土屋文明の歌った月島は気配がうすらいでしまった。
 私の本籍地、東京を知らなくては仕方がない。知る、見る、感じる、食べる…。
 隅田川の流れの見える窓。前川のうなぎ。年配の着物の中居さんがお世話してくれる。どぜう。厚い鉄鍋に、どじょうを並べ、その上に山盛り葱をのせ、山椒と唐辛子をたっぷりふりかけ…。
 鷹匠、鴨料理、解禁時の鴨を、硯のような鉄板で焼いてくれる。隠れた料理屋。
 海作。様々な貝の陶板焼き、こんぶ焼き、よせ鍋、かき鍋、蛤鍋…。
 銀座のどまん中の小さな路地、三原小路の治郎長のふぐ。八十六歳かな、主人との会話もふぐも、ありがたい。
 私の古里、御馬の大工さんを東京に修業に出し、そして造った父の家と同じが残る部屋で、尾花のうなぎ。筏。大皿に小うなぎが並んで、姿もみごと、味もみごと。うなぎ好きだった父を思う。
 そういえば、どの店も畳に座るスタイル。江戸を忍ばせるところばかり。年配の料理人ばかり。このごろやっと知り得た味ばかり。 関東ローム層探訪は尽きない。

 
 

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