2022年 短歌

12月  常の日

神様は出雲への旅を終へられて「お帰りなさい」常の日となる

明治三十年以前を「和歌」以後は「短歌」と言いて繋ぐる

尾花・葛・撫子・桔梗・女郎花・藤袴・朝顔しっかり会ひぬこの年も

隔つるは一本の線くっきりと空の白雲海の白波

四十六億年経たる地球のひとところ日溜りのあり日向ぼっこ

へ理屈も詮索も要らぬまま冬に入る日の日向ぼっこ

南極のアデリーペンギンの剥製を抱き帰り来日本の国へ

昔のこと今のことこれからのこと日本の国をまたはじめたり

がっしりと私の心に居て下さるセリーナ・アラウス・ペラルタラモス・デ・ピロバーノさん

校医として修学旅行に付き添ひし父の求めし雛壇とゐる

アルゼンチンの空ぎっしりの星星とカンポを埋むる蛍蛍蛍

何ひとつ不足のものの無きままにこのままこのまま静かに生きる

特大の恐竜が闊歩せしといふパタゴニア大地を歩みみたりき

自らの自らの為に存在するこの時間帯をただうろうろと

どのように過ぎゆくことも悔いはなし無用ではない時に至る

11月  聖観音菩薩

何をしてゐるか!少しづつ彫り上ってゆくよ聖観音菩薩

聖観音菩薩となりゆく檜材と彫刻刀と手順整ふ作業台

梵語での「神聖な」意は「アーリャ」「聖」の起源であると

何事であるか理解の出来ぬまま固き檜材彫り続けゐる

丁寧にやさしく清く常の日の自身の心を託す彫刻

冬立つる日の近づけりこの日々をひたすらににして聖観音菩薩

目の覚めるような一つの旅を終へ心に残る大き確信

地球上に化石の出来るその頃に蘇鉄は生きる植物だった

二十億年前の地球に在りといふ蘇鉄のことを吃驚す

育ちたる庭に蘇鉄のありしこと蘇鉄と四季を過せしことを

沖縄から九州南端の間だけ自生してゐるという日本の蘇鉄

蘇鉄の実は徐毒をしてデンプンとなし団子餅味噌醤油

皮をはぎ芯を輪切に発酵後飢饉食になりたることを

育ちしは菩薩寺の石垣組の大蘇鉄緑豊かに頼もしかりき

仏教と共に日本に来たりしか食となり薬であり実殻は燃料肥料でありき

10月  隠岐島にて

朧気おぼろげに思い浮かぶる隠岐島今はっきりと私にあり

見ゆるもの聞こゆることごと食すもの現実として隠岐島

この空気この神の島この歴史ひたすらひたすら本当のこと

神と人と共に有りたり隠岐島満ちあふれくることごとのなか

常の日を過し来たりぬ今日までは心満ち満つ隠岐島帰り

おのずから涌きいづるもの“ありがとう”決して忘れぬありがとうございます

大宇宙そして地球の隠岐島神々しくして美し悲し

みずからの一歩一歩の歩巾にて隠岐島に起こりしことを

隠岐島十九年間の歌にて悲痛感懐遠島とおしまの歌

遠き島二千里の海路をひき入りて松の柱に葦ふける廊

墨染の袖に凍れる涙涙涙とけゆく春のおとずれ

墨染の衣に散り散るはなびらは無益のことと春のおとずれ

明日には飛行機に乗り帰りゆく墨染の法の御姿心に仕舞ふ

いまの夏秋へと移りゆく空の“行合の空”へ分け入る

一つ日をおくれ帰り来る忘れ日傘隠岐島より宅急便にて

帰り来し“焼あご”再び少し焼き隠岐の誉と静かにゐます

9月  隠岐島へ

隠岐島何処にあるのどの位置にこんなに知らないことを知りゆく

空にゐる海を見下ろす雲に入る本当のことをしてゐるところ

羽田より伊丹までゆく飛行機に四十五分間乗りたることよ

しっかりと測られてゐる四十五分しっかりと日本見下ろしてゐた

常使う筆箱よりかミニ鋏と鉛筆削りを没収された旅客となりて

無手となりなんだか情けなきままに四十五分の長かりき

幾筋か飛行雲ありその中へ我飛行機も長く雲をつくりてをらむ

層雲と浮雲とのその空を飛んで飛んで隠岐の島まで

飛行機の私の窓まで届くかに雲の峰立つ幾つ幾つ

綺麗だなあの色この色天然の空より見下ろす私の地球

日本海隠岐の島々見下ろしてたちまち着地す隠岐の空港

空であり海であり島である一つ座席に三百六十度見ゆ

星々と同じ素質をもつといふ人間として自らのこと

自らの心のままに隠岐の島の空気美味しい水の美味しい

神の世を今に繋ぐる隠岐の島一歩一歩を厳かにゐる

8月  檜

日の木にてヒノキ科ヒノキ属針葉樹聖観音像彫りゐるところ

“ひとりぼっち”とは思はない両性を超越された聖観音様と

インドにて紀元前六世紀に成立の仏教ひもとく檜彫りつつ

天を向き木目正しくちょくと有り檜の根方にしばし立ち立つ

古代オリエントの香りかと線香のほほけゆくまで

オリエント・インドとつなぐシルクロードそして我家に清浄心身

麦畑の稔りの色のとなり田の田植の水面鳶を写す

馬齢薯の花茎高し淡紫にアンデス山脈空の色して

まず私の指先を染む紫にアカニシ貝の命の色は

佐久島の黒南風くろはえに吹かれいる長く長く連なる堤防

ベランダのブーゲンビリアの枝々の鋭き棘に刺さるよ刺さる

檜にて聖観音像彫るときはほのかに香るほのかにうれし

アマゾンのジャングルに分け入りぬジャックフルーツの木に触れもして

幸運をもたらすとジャックフルーツの木僧衣を染むる黄色染料

ジャングルに正しくありきジャックフルーツの木直ぐ立つ姿描きしことよ

7月  貝紫染

三河湾佐久島の空と海との接点よ弘法大師修行の場

佐久島の空と海との境界にて弘法大師の空と海とを

薄暗い森の祠の修業の場弘法大師に太陽光届くを

一日の小さき時の間空海弘法大師への太陽光の届く試み

金槌をもてアカニシ貝を打ち砕きパープル腺を取り出す作業

アカニシ貝の苦痛知りつつパープル腺を取り出しぬその身は刺身

朝の陽よアカニシ貝のパープル腺よ貝紫の美しきこと

映像ではあるけれど二〇二二年三笠の山にいでし朝日を

アララギとオンコと笏の木と正一位と良き名をもちて私にあり

ユリの木にユリの花咲く時にして背のびしてゐる花見むとして

思い出を幾つ幾つ重ね来しこの年もまたユリの木の花

一万年前には溶岩台地だった日本列島そんなに年寄りで無い

巣鴨なるとげぬき地蔵尊の四百年の塩大福を手提げて帰る

十メートルほど太陽に近付きぬ日向ぼっこの日課あり

お願いをする存在とは思はざり心に在りぬ神と仏と

6月  森羅万象

飛鳥なる釈迦如来像の右の手の縵綱相のなぜか甦ふ

「止まりさえしなければよし」孔子の教へに従がひてゐる

自のほんの少しの体験に凡てのことを推し量りをり

太陽の寿命はおよそ百億年五十億年残りてゐるよ

真地球より湧き出づ水の醸されて今日の私の一献

桜かなスモークチップの香の動くヤマメ薫製運ばれきたり

アスティカの時代にはすでに有りといふチョコレートひとかけ口中に

地球儀をまわしまわしてここはどこ宇宙遊泳しているつもり

左手に宝珠をそっと乗せたまふお地蔵様は私を救済中

自の足もてどこどこ歩みゆく自由といふを持ちあはせをり

読む読まぬことには思ひ至らざり積みあがりゐる本本本本

従横も空間もあり時空にてひとりのひとを偲ひてやまず

新しく我家となりぬ家中に私の玩具等饒舌にあり

アマゾンの木々より成りぬ玩具にて一念三千森羅万象

とっとっと巡り来たりぬ地球の上を今日の安楽私に仕舞ふ

5月  千の手

三河より奄美大島より巡り逢ひまた逢ふために今日を別るる

あのこともこのこともまた過去にして明日ははじめむ未来といふを

大幅に歩みゆくゆく恵比寿道今日の歩数に至らむために

関東ローム層に建つビルディングひとり住みつつひとり安らぐ

関東のローム層のま白き独活よ手造り味噌を少し添へる

日本語の通じる故に心安し京都にゆかむ大阪へ行かむ

花びらはまろまろまろまろ吹き溜るあるか無きかの重量掬ふ

のりこえてゆきはしない常に地球の丸み見ゆる範囲を

しばらくは見下ろしをりぬ羊雲ひとつ羊を突き抜け着地

物思ふ心も高き空にあり常の心と少しことなる

千の手の一つ一つのお道具のひとの心の則を越へない

まどかなる金の輝よひ輝よひて私におよぶ金の輝よひ

8Bの鉛筆より出づわが線はほくほく今年の馬鈴薯となり

墨を擢る墨匂ひたつ濃く淡くひと筆にして人の姿を

まっ白し蕪をむきゆくまっ白し一番だしに少し色づく

4月  たをやかに

和紙よりも岩絵具よりも白くしてひと花開く白玉椿

ひた走るのぞみ号の窓により今日の朝の父母ちちははの墓

歩みゆく歩みゆきゆく伏見道貫名海屋筆塚に会ふ

選ばれし景色の中に正座していま再びの瞬きもせず

どの道もどの家々も南天の赤き実稔れり北山の道

なだらかに起伏ありつつひと所今日の入り日の入りゆくところ

やうやうに明りを残す山際を見守りゐたり暗がるるまで

たをやかに三十六峰たをやかに今日たずねたり一つの峰を

ひと日ひと日三百年の過ぎしこと石の仏のほのぼのまろし

自らに出来ざる速度に身をゆだねどこどこまでも行かむ試み

吉野川ここより紀の川流れ継ぐこの接点に来たりしことよ

ここよりか黒潮に乗るそのままそのまま補陀洛浄土

生と死のはざまなりけり那智の海ただごとならぬ黒潮の色

積雪の高野山に登りこし弘法大師とこのひとつ夜を

神仏と共に食する共に祈る根菜青菜丸餅雑煮

3月  聖観音菩薩

一刀を一刀毎を心して彫り続けいる聖観音菩薩に逢はむ

聖観音像彫りゐる日々にして自ずからなる静寂のなか

一刀を一刀毎に新しき香りいでこし香り重ぬる

新しい檜の香りをつくりつつこの幸せの日々の重なり

「フンガ・トンガ・フンガ・ハアパイ」私の窓の太陽仰ぐ/p>

仏とは性別について男女超え人については存在を超え

仏とは太陽のごとく太陽であり母のごとく母であると

歩きはじめた玉由はペンギンについてゆくペンギンの家ハルデス半島

アルゼンチンに生まれし由野の誕生日由野の歴史としみじみ過す

蓮の芽のほんのり梅酢色にして今日は由野の誕生日

カリカリとやさしく手引くかガーと機械音かジャマイカよりのコーヒー豆よ

三十八階の窓よりの見下ろしは武道館・皇居の森・国会議事堂・富士山も

雲海のまっただなかを突き抜ける富士山頂上見下ろすしばし

どのビルも屋上べて®マーク逃げるといふを思ひてしまふ

蓮蕾・蓮の花・蓮大葉・蓮根・蓮芽の梅酢漬の色

2月  生命の歴史

太陽より一直線に来たれるを私の部屋に太陽満ちる

太陽より一億五千万キロを隔たりて頂度よろしき温度となりぬ

いまいづる冬の太陽せなにしてスカイツリーの見えてゐる窓

35億年の生命の歴史に連なれる今日の私のいとほしくして

メタンとアンモニアとアミノ酸とタンパク質と核酸と原始細胞代謝の次第

充分に楽しく過してゐる地球このままこのままこのままが良い

天空にわずか小さしマイクロムーン名付きし道理ほんのり小さい

京都より三段重のお節の届く日本入国隔離中の子等

地球上の四千五百万種の生物のその一種にて今朝を目覚むる

雪華模様この天然の現象に同じ模様は一つだに無し

自らの思考には存在せぬことも宇宙のいとなみ素直に受くる

雪は降る同じ結晶一つだに無しと思ひて雪を見てゐる

人間の造りし物の何もないパタゴニア草原思ひだせり

獅子柚子はムクロジ目被子植物門双子葉植物綱ミカン属ブンタン亜種と

山脈の向こうにもあり山脈はもっと向こふへ行きし人あり

1月  銀 杏

日本を知りたく歩む山の辺に二尊院あり知りはじめむを

此岸より「発遺の釈迦」彼岸へは「来迎の弥陀」遺迎ニ尊の二尊院

荘厳と長寿と鎮魂のギンクゴ・ビロベは公孫樹とぞ

平安の世に日本へ伝はりぬイチョウ科イチョウ属イチョウ

一億年前に栄へしと公孫樹氷河期凌ぎて今日の銀杏

二尊院の古代思ほふ銀杏を今朝も炒りをり10粒のほど

小粒にて濃き濃き緑の銀杏は太古の味と勝手に決める

マプサウルス・パタゴニクス・アウカマウェボ銀杏朝食大騒動

最初から最後までを意味すると阿吽の途中私の命

五日ほど留守にする故残りゐる食材集めてピザ出来上る

羽田より航空マップの一本線その上飛んで奄美大島

限りなく奄美の自然に混じり入る太古のことよ今吹く風よ

車輪梅の濃き緑の葉の中に幾枚混じる赤葉の不思議

絹蛋白と車輪梅タンニンと泥田の鉄分子奄美大島泥染紀行

目に見えぬ黴菌ばいきん地球を被ひいて静かに過す静かに眠る


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