2017年 短歌

12月  石鏃(やじり)

パタゴニア荒野に石鏃探せしを思いいだせり西ヶ原石鏃

地球なるもっとも遠き国と国と人間(ひと)は造りぬ同じき石鏃

幼子を強く抱ける母土偶縄文時代の心のなかへ

自らの食せし貝の貝殻を積み重ねゐる自分貝塚

西ヶ原の貝塚ぎっしり二枚貝私の貝塚巻貝多し

ひと握りの土の調達出来ざればコーヒー小木水耕しをり

種無きを少しばかりは淋しみて川中島のマスカット食む

恐竜と奪い合ひ合ふことはなし今年銀杏焙りてゐるよ

瓜坊は朱実となりぬ烏瓜やがてその根は天花粉とぞ

想像は出来ざる膨張つづくると宇宙のなかのひとりゐる部屋

11月  薪 能

江戸の世に日本の国へ来しといふ午後の三時におしろいは咲く

はるかなる祖母の私を呼ぶ声は「おしろいの花咲きはじむるよ」

千坪に曼珠沙華を植えおきて母はゆきたり曼珠沙華咲く

稔り田と曼珠沙華と白さぎと一つ車窓に治まりゐたる

夕風のそよと吹きくる山の端に今しはじむる飛鳥山薪能

お祓いと火入れ式と三蔵法師「大般若波羅蜜多経」と

風の音都電の音町の音聞こえてゐたり飛鳥山薪能

中秋の月の光にかがよひて大般若経三蔵法師

天竺より教典背負ひ帰りゆく三蔵法師を見送る舞台

慈恩塔の小さき窓より偲びたりき三蔵法師の行き来の方を

10月  鞠子姉様

洗面の鏡に鞠子姉の顔今朝は重なる私の顔と

小さくて赤き琴爪つけくださりき鞠子姉より「さくらさくら」

三姉妹睦みし時の過ぎ去りぬひとりぼっちをひとり果敢ない

父と母と瑠璃姉とをよろしくね鞠子姉を今日は弔ふ

画かむよ釣舟草の群生をマルハナバチは先にきてゐる

どんぐりは古墳時代もどんぐりと呼ばれをりしかどんぐり実る

群なしてみな同じしてねこじゃらし今吹く風に降りだす雨に

快適に高速道を走りゆく自動運転している車よ

太陽はしばし重なる昼月にサウスキャロライナよりの映像

いながらに“NASA”の映像届きくるわが左手のスマートフォンへ

9月  河原撫子

過ぎゆきし四十八億年のありしこと今日の路傍の河原撫子

万葉へはるか宇宙へ誘(いざな)ひて心に咲けるカワラナデシコ

薬用に食料にもなるというふ愛(いと)ほしくしてカワラナデシコ

今をゐる人のごとくに会釈して行きも帰りも地蔵尊菩薩

暮れなずむ音無川の川岸の隅田川へと流るる方(かた)へ

釈迦如来座像となりゆく檜材とノンフィクションとに生きてゐるゐる

子規庵の鶏頭の花咲きをらむけいとうの花描きてゐたり

黒を着る黒に落ち付く安らかに黒百色のなかの一色

整理摘果しのぎて育つ青柿を見あげて通る毎日の道

読む習ふことに思ひは至らざり積みあげてゆく漢詩教本

8月  電 波

コーヒーのカップの渦に思い馳す銀河系の出来し経緯(いきさつ)

千億年後のことまで知らずとも今日は知りたり宇宙の未来

時空をも越へて見えざる知らざるを見得るとなりぬ電波望遠鏡

ファゴットの音色聞こゆる王子様とお姫様との恋物語り

オーボエの高まりゆける旋律に心ゆだねて喜び至る

ステーキに大根おろしを山と盛る日本の国に暮しゐるゐる

今はまだ熟しきらざる青山椒雌株に生りて私に来し

黄緑色雄花の食用花山椒何よりも好きその名をあぐる

三本杉橋のたもとの石文の「日光御成道」を登りゆきゆく

朝な夕な片手拝みす地蔵尊四百五十年を立ちておられる

7月  ワイン

日本の古来の蚕小石丸桑の若葉の季節きたりぬ

目分量(もくろみ)に徒ひゆきぬ出逢へたりあのことこのこと本当のこと

砂漠なる熱き風さへ蘇へるアレッポ石鹸今日バスタイム

パエージャの黄の味黄の香を食ぶるとき薄紫のサフランの花

冷涼の火山性土壌に育ちしとイタリア・ワインは貝柱ソテイ

一番に弱い魚かまるごとの鰯フライは白きワインと

地球なるさまざま土質に其れ其れのぶどうは実り今宵のワイン

太古なる海の味香の潜みゐてシャブリー・ワインに我身をゆだぬ

ひとつ木に実るもあり花も咲く惜しみなくしてレモンの香ほり

ゆらゆらとバランスボールにゐるときはゆらゆらとして言の葉ゆらゆら

6月  無 限

黒黒く瘤瘤古木の胴に咲く初初(ういうい)桜の花を見守る

花托より今放(はな)たるる花びらを追ひかけ追ひかけたちまち無くす

天も地も舞ひ舞ふ花びら花吹雪スケッチしてゐる私を埋むる

この数を数ふることの出来ざれば今日の無限の花びらのなか

萼片(がくへん)と花托をつなぐ花ネ(かへい)にていまだ桜の色を保てり

焦点は八重の桜の普賢象象の鼻なる雌しべにズーム

石垣の継ぎ目継ぎ目にこの年の古代紫たちつぼすみれ

咲き初むる花の黄色も混じりつつ菜の花は今おひたしとなる

直ぐ立ちて天に尖るる九条葱この新しき緑を食ぶる

彫りはじむ角材檜に香のたちてここに居ませる釈迦如来像

5月  桜御飯

二百余年隔つる江戸の名所図会今日分け入りぬ飛鳥山花見

古木なるエネルギーの弱小といとほしくして胴吹き桜

富士山の山霊鎮めしと印されて木花咲耶姫御桜の季

万巻の言の葉尽くして称へむよいま咲き初むる桜の花を

染井なる植木の里に近く住みここに生まれし染井吉野と

朝桜真昼間桜夜桜ひねもすをゐる桜花のもとに

いま咲きし桜花を千切る小鳥らの花の遊びを立ちて見守る

小雀の千切る桜花のひと花のその花受くるわが掌に

こんもりと両手に集む花びらを炊き込みにけり桜の御飯

沖縄に元旦桜を観しことよ北海道にて五月の桜

4月  地蔵菩薩

妙高の林檎スライスジャムにして朝な朝なに蘇ること

江戸彼岸・大島桜・山桜・染井吉野のDNAよ

太陽のスーパーフレアと窒素分子と地球に始まる命の初め

角材をひと彫りひと彫り彫りつづく五百の日日の過ぎゆきにけり

命あるすべての救済願ひつつ彫り続けこし檜角材

仏頭も仏手仏足御姿の伝はりてこし伝はりてゆく

山なせる木屑のなかに埋もれて今し迎ふる地蔵尊菩薩

ひと彫りをひと彫りごとを重ねこし今しまみゆる地蔵尊菩薩

千年の時の過ぎをり善円作地蔵菩薩の近く寄りゆく

千年の昔の人と同じ同じ地蔵菩薩を彫りあげにけり

3月  蒲の穂綿

少しほど時代は異にするばかり藤田画伯のブェノスアイレス

ひと粒のひと種ごとに羽をもち蒲の穂綿の今し飛びゆく

一年の月日を重ね今し飛ぶ蒲の穂綿を見送りゐつつ

赤き実も朱き実もあり紅(くれない)もいまだ見付けぬ冬の鳥達

蛇の髭の細き葉群を掻き分けて探しい出さむ瑠璃色の玉

遮ぎるはダークマターかダークエネルギーか幾条をして朝の光りは

真向ひて一億五千万キロを感じゐるのぼりくるくる朝の太陽

火山岩の山肌荒らら華厳の滝この風景をひとり占めつつ

人の上に人が乗るほどぎっしりの小三治師匠「野晒し」聞こゆ

のれそれの三杯酢よりはじまりぬ二〇一七年お寿司はじめ

2月  富士山の

日本より脱出といふことでなし外っ国にて長く過しぬ

巡り来し地球の品々囲ひもちつづけてゆかむ新しき年

寒風の桜木並木をゆきゆきぬこの木々のもつ色素に至る

雲ひとつ無く暮れゆきぬ大晦日雲ひとつ無く新らしき年

宝永の噴火のあとは真正面富士山元旦映像とどく

元旦の朱に輝やく富士山は二百キロほどスピードのなか

一陣の風のもたらす粉粉は六角をして雪の結晶

富士山の溶岩層を漉しきたり天然パナジウムの水を飲み飲み

苔むして蕩(とろ)けるほどの狛犬を探し得たりて東照宮

華厳なる滝の飛沫に濡れもしてはじまるはじむる私の今年

1月  砂漠の塩

厚き雲覆ひて去らぬ妙高山映像に見るその山頂を

富士山と湧水池と山女魚との景色の中に私もゐて

白雲と白雪いだく富士山とやふやく見分く白雪の艶

ゆったりと座しゐるままにぐいぐいと天下の険を登りゆきゆく

天下の険千仞の谷もものとせず会ひにゆきます「孔雀鳳凰図」

空を歩くそんな気のして吊り橋は長く長く富士山に添ふ

実りしは箱根の山のどの辺り百粒ほどのむかご携ふ

少々の砂漠の塩にゆであげぬひと粒ひと粒むかごひと粒

避雷針保護柵めぐらす注連縄の神杉よりのフィトンチッド

午後となる淡き光りを集めつつ白輝やきぬ八ッ手の花の


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