ことのはスケッチ (333) 2006年9月

『大豆』

「デパートで探すなんて野暮」とは思いつつ、「何を描こうかな」。
画材探し、とは言っても仕事帰りに融通はきかない。

葉っぱが付いて、根っこまである、まるごと大豆の幾株が、折り畳まれるように売られていた。
アトリエでバケツの水に放つと、次第に次第によみがえる。
畑のまま、とは言われないけれど直ぐ立つ大豆の姿になった。
念願の枝豆の季節の大豆が描ける。
葉っぱには虫喰いがあり、けなげに葉脈が、強く細かく葉っぱを支え、形づくる。
ぷっくり豆のふくらみ、豆を守る莢には毛がびっしり生えている。
実り近い豆が、たわわに付く茎の頑丈なこと。逞しいこと。
ひげ根に、太古より植物と共生するという、根瘤菌の小さな球がぽつぽつ幾つもついていて、可愛い、懐かしい、とにかく嬉しくなってしまう。
こんなすごいものデパートで見つけてしまった。

縄文の時代に、中国から日本に伝わり日本の食物の元になった大豆の、今を生きる一株と一夜を過ごす。
大豆をとりまくこもごも…スケッチしながら、思いは思いをよぶ。
医者をリタイアした祖父が、裏庭に花であり野菜であり…作っていらした。
小学の頃の私、祖父のあとに従って、種を蒔き、水をあげ、芽生えを愛しみ…。ジャガイモを半分に切り、灰をまぶしたこと。サツマイモの畝をつくり、葉っぱを挿したこと。麦踏もした。カボチャの花が大好きだった。スイカもキュウリもエンドウも、蔓の形体が好きだった。
そんな畑の端っこに大豆が植えられていた。花が咲き、小さな豆になり、硬く実って大豆になった。
祖父の農作業のかたわらで、芽生えを、蕾を、咲いた花を…。もちろん大豆の葉っぱも実も。乳鉢で摺り、潰し、水で溶き薄め、薬局から持ち出した薬壜に入れ、庭の草草の生命の色を並べてあそんだ。

祖父の思い出はどうしても戦争になってしまう。
その当時私は歩くことが出来るというほどの年令だった。空襲警報が鳴ると、お座敷の祖母のところへとんでゆき、祖母の手を引いて防空壕へ入る、というのが私の役目だった。
一つ上の兄は、祖父の往診用の鞄を、彼の身にあまる重さを、斜めになって防空壕へ運ぶのだった。戦争に行った父の留守の医家を守っていたのだった。
診療室脇の庭につくられた防空壕のドアが吹き飛ぶ衝撃があった。その時の「燃える火」は子守さんにおんぶされた頭越しに見た。

もう少し大きくなった頃、とはいっても、手伝いさんに湯たんぽを入れてもらったり、すきまから寒くないように布団の端をトントンしてもらったりした頃。
ひとり布団の中で考えなければいけないことがあった。毎夜、毎夜。
幼い思考の範囲のことだけれど、どうしてもわからないところに到達してしまう。どうして!どうして!不思議ばかりになってしまい、眠れない。
神様は人間から『このこと』を考える部分を消しておいて下さるとよかった。神様の意地悪のせいにして『このこと』について考えることを止めた。
そのまま何十年がすぎた。

この頃一冊の本に出合った。最初のページ、「生命とは何なのだろうか。一体どこからやって来たのだろうか」。
「考えることをやめる」まで私を苦しませたことを、やめないで、ずっと考え続け、立証してこられたひとがいたのだ。
ひと言ひと言、私なりの理解ではあるけれど、読んでいる。
無縁と決めていたことが、身近な必然であり、不思議は数学でもって解かれ、不思議でなくなってゆく。世の中は、こんなことになっていたのだ。おどろいた。
たった独りで『このこと』と闘っていた幼かった日のことを思う、今は、なんと楽になったことだろう。

大豆の命を、種を守る造形を、スケッチしている時浮かんだ昔のこと、今のこと、あのことこのこと、今まで見えなかったものが見えてくる。
今まで考えなかったことまで考えはじめる。
後で食べよう。食べてしまった。そんなことも含め、大豆と楽しかった。

 
 

 


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